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ルネサンスとは何であったのか

一千年のキリスト教の抑圧へ
人間の欲望が反逆する。
それがルネサンス。


再読。

塩野七生を読むと
知的好奇心に駆られる。
中世から近世のヨーロッパについて
学びたい意欲が沸々とこみ上げる。

ルネサンスなんて高校時代は
たいして興味もなかった。
過去は過去。
温故知新?
はあっ?
って感じ。

でもね。
歴史に学ぶ。
歴史を学ぶって
とっても大切。
そう思うのはジジイだからか。
断定。そう。

で、塩野七生である。
珍しく、解説書。
ルネサンスを語る。
もちろん、口調はいつもの塩野節。
この人、絶対Sだよな。
でも、嫌いじゃない。

語られるのはルネサンスの人、人、人。
人なんだよな。
結局、歴史って。
だから、突き放したように見えても
塩野の本質は暖かい。
人の熱に感応するから。

『ルネサンスとは何であったのか』は
イタリアでのルネサンスの歩みをたどるように
フィレンツェ、ローマ、
キアンティ地方、ヴェネチアと
イタリア各地を巡る形で描かれていく。
この辺、映像で見たいね。
NHK辺りでやって欲しい。

最初にルネサンスとは
「見たい、知りたい、わかりたいという欲望の爆発」
と定義づける。
なぜ爆発したのか?
キリスト教会によって
一千年間も押さえつけられていたから。

そして、ルネサンスについて
フレンツェの地で
聖フランチェスコから始める。
続いてフリードリッヒ二世という皇帝までも。
さらに印刷業を確立した
アルド・マヌッツィオが登場する。
この辺は塩野ならではの視点である。

メディチ家が重要なのは言うまでもない。
そして、やはりレオナルドだ。
ミケランジェロだ。

各地を旅しながら
ルネサンスが
各都市で
どんな栄枯盛衰をたどったかを
人物を中心に語っていく。

この辺は目の前に
その時代の人がいるように
いきいきとしている。

塩野の洞察は一刀両断だ。
以下、記憶に残った言葉をいくつか。

「哲学とはギリシア哲学につきる。
それ以降は、キリスト教と哲学の一体化という
所詮は無為に終わるしかない
労力のくり返し」

「ローマは『arioso』(アリオーゾ)。
こせこせしない」

「ルネサンス精神とは、
人間がこの心眼を、
再びわがものにしたということ」

内容は豊富にして
とても語りきれない。
それが塩野の
ルネサンスの豊かさ。

以下、人物の画像で
その片鱗でもたどりたい。

アッシジの聖フランチェスコ
フランチェスコ

フリードリッヒ二世
フリードリッヒ2世

コシモ・デ・メディチ
コシモ

ロレンツォ・デ・メディチ
ロレンツォ

マキアヴェッリ
マキアベリ

レオナルド・ダ・ヴィンチ
レオナルド

ミケランジェロ
ミケランジェロ

ルネサンスとは何であったのか
ルネサンスとは何であったのか (新潮文庫)



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[ 2016/02/29 17:52 ] | TB(0) | CM(0)
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